私が初めてかかり釣りっぽいのを経験にしたのは小学生の時で、いつも京都府宮津湾、宮津田井の筏へ父親の友人に連れて行ってもらっていた。
6~7尺のへら竿にリールシートとガイドを付けたような改造竿にスピニングリール。ラインは多分3号くらいのナイロンラインだった思うけど、それにデカい中通しオモリをヨリモドシで止めてハリスはかなり長め。70~80センチくらいあったんじゃないかな。
ダンゴは使わず、持っていくエサといえばサシエとマキエ兼用でアケミ貝のみ。それも一人1キロ入りの袋を1つだけ。半貝やムキ身なんて選択肢もなく、ひたすら丸貝だった。
丸貝用の小粒なアケミ貝も売っていたがそんなものは小さいチヌまで釣れてしまうと見向きもせず、いつもデカい粒ばかりの貝だ。
そんなんで釣れるの!?とはその最初、何も知らなかった私は思わなかったが、しかし釣れなかった。
小学生の子供を連れて行くのだから当然日曜日とか夏休みとかなのだが、当時の宮津田井の筏といえば大盛況で、50人乗りの巨大筏に隙間なく釣り人が並ぶといった過密状態なのが当たり前だった。
特に夏休みともなれば平日でも予約なしで2基あった筏(ともに50人乗り)に乗れることはないといった大人気ぶりだった。
一応、片方の筏は五目釣りOKとなっていて、もう片方の筏はチヌ釣りオンリーという決まりだったはずで、チヌ師にとって人気の筏はやはりチヌ専用の筏だった。しかしそちらの専用筏に乗れることは少なかったように思う。
釣り初めにサシエ用のアケミ貝を10個ほど選別し、残りはマキエとして釣り座の前に向かって思い切り手で投げてばら撒くのだが、その筏の水深は20とか25メートルとかあったように記憶している。
しかも潮が割と動くところで、それがまた結構複雑な動きをするところだったように記憶している。そんなこともお構いなしに、ただ適当にばら撒いただけのアケミ貝が、いま思っても果たしてどの辺りに沈んでいったのかなんて全く見当もつかない。
そしてマキエとしてアケミ貝をばら撒いたところより20メートルとか30メートルとか沖に丸貝を刺した仕掛けを、スピニングリールをセットした竿でぶん投げ、少し沈めたら沈下途中でリールのベールを戻しラインを止め、筏に設置してあった低い手すり(のようなもの)に竿を預け糸を張って起き竿でアタリを待つ。
仕掛けが沈む間に手前へ引っ張られて戻ってくるからそのくらい沖へ投げ込むのがちょうど良いとの説明だった。
アタリがなければどうするか。待つのである。ただひたすらに。
チヌ釣りはイチにもニにも忍耐だとまず教えられた。だから滅多に仕掛けを上げるなんてことはしないし、してはいけなかった。何度行っても最初に選別したアケミ貝が半分もなくなるなんてことは決してなかった。
ちなみにアケミ貝の中からサシエ用に選別するといっても、丸貝に適した大きさを、と教えられた記憶はない。幾度かの釣行で私はできるだけ小さめの方が良いのではないかと気づいたが、そのおっさん(といっても当時まだ20代の若者だったはずだということにずっと後年気付いた)はチヌが好きそうなきれいな貝だと説明したと思う。
いい加減である。終始一過して、徹底的にいい加減である。
まだ幼かった私でも何度か連れて行ってもらううちに、このおっさんの釣り方はかなりいい加減であると見破ってしまったほどだ。
そんな釣りだから何度も何度も釣れない釣りが続き、連れて行ってくれたおっさんも滅多に釣ることはなかった。
しかし幼い私は「もう嫌だ」などと思うことはなく、毎回今度こそ!と連れて行ってもらえるように頼み込み、何度も何度も土曜日の午後、バスに乗り込みおっさんの家へ向かった。
いま思えばそれは才能だったのかもしれないが、私が諦めなかったのには理由があった。
今では見ることがなくなった50人乗りの超大型筏に満載の釣り師たちの中で毎回誰かが釣っていたからだ。
中には行くたびに顔を見るような常連のおっちゃんもいて、そんな人の中には高確率で釣っている人も少なくないことに気付いていた。
先に説明したような釣り方が特殊なわけではなかった。むしろそういう釣りが流行っていたようで、何割かの釣り人はそのような釣り方で狙っていたし、その釣り方で釣っている人は釣っていた。
当時はかかり釣りが関西を中心として、巷(ちまた)にイッキに広まりブームになっていた頃だが、まだその頃はかかり釣りが何たるかといったようなことも固まっていなくて、ダンゴ釣りをする人がいたり先述の「丸貝釣法」をする人がいたりといった混沌とした雰囲気があった。
そしてそれぞれの釣法でコンスタントに釣果を上げている人がちゃんといたのだ。
余談になるがその頃から長年にわたって宮津田井の筏をホームグラウンドとしていた名人で京都の小島さんという人がいたのだが、その人が当時の私の憧れの人だった。
マスコミに登場したりするいわゆる有名人ではなかったと思うが、件の「丸貝釣法」でいつも型の良いチヌを何枚も釣っておられた。
そんな他人の釣果をいつも、そしてまれにおっさんが釣るチヌを羨ましく眺めるだけでも、そのときはまだカタカナのニシダテツヤではなかった少年の心はときめくのだった。
そんな私のかかり釣り人生のスタートだったのだが、やはり最初に教えてくれた「おっさん」の影響は強く受けたようで、その後カタカナの「ニシダテツヤ」となった私の釣りにも色濃く反映されているように思う。
その20代で早くもおっさんと呼ばれ、いつも自分の子供でもない小学生を連れて釣れない釣りをする私の父の昔からの友人はなかなかネタになる面白いおっさんなので、その人の話はいずれ機会があれば語ってみたいと思う。